運行を終えたオリエント急行
先週(2009/11/14)、オリエント急行が126年の歴史に幕を閉じました。
オリエント急行と言うと、我々日本人には豪華な設備を持ったヨーロッパの特別列車というイメージを持つ人が多いと思いますが、それはかつてのオリエント急行を復元した観光列車のこと。
今回運行を終えたのは、その豪華な設備を復元したオリエント急行ではなく、126年前に登場し、かつてパリとイスタンブールを結んでいた、正にヨーロッパとオリエントを結んでいた長距離列車です。
オリエント急行が、日本人のイメージにある富裕層が好んで乗車した豪華な編成であったのは第2次世界大戦のころまで。
その後の冷戦時代に西側と東側を結ぶ豪華列車が運行できるわけはなく、オリエント急行は一般車両で編成されるようになりました。
パリ-イスタンブールの直通運転も1977年に終了。その後、オリエント急行はヨーロッパ内を数多く走る夜行列車の1本としてパリ-ブカレスト(ルーマニア)間の列車として長いこと運行されました。
私は1988年。このパリ-ブカレスト間を運行していたオリエント急行に乗車した経験があります。
パリ東駅から乗車した列車は、フランス国鉄とオーストリア国鉄、そして確かハンガリー国鉄の車両で編成されており、終点ブカレストまで行く車両は、パリからへ連結されていませんでした。
パリを夜発つこともあり、食堂車もビュッフェも連結されず、しかも古い車両ばかりで編成されたオリエント急行は、日本人のイメージとかけ離れた列車だったことを覚えています。
ヨーロッパでもオリエント急行のように名前がついた列車はありますが、指定券や寝台券を取る時には、列車名ではなく列車番号で列車を指定することから、一般の人には列車名は浸透していません。
よって私が乗車したこのオリエント急行も、一般には、ただのブカレスト行きの列車であり、オリエント急行の名はトーマスクックの時刻表上と、たぶん列車側面についていた行き先表示板には名前がさり気なくあった書いてあったことでしょう。
さてオリエント急行。
やはりオリエントというからには、イスタンブールに到達する列車であって欲しいもの。
イスタンブールというアジアの空気が色濃い街と、ドイツやフランスという西欧の国を結ぶ列車には、大きな憧れを感じます。
かつて私がイスタンブールを訪ねた際、イスタンブールのヨーロッパ側の終着駅「シルケジ駅」で、オーストリアの車両を見つけて、大変感激したのを覚えています。
イスラム教のモスクが立ち並び、コーランが流れる街の中に、西欧の車両を見つけたときは、まるで日本の駅で営業中のヨーロッパの車両を見たような驚きでした。
私の過去のアルバムから見つけたのが、イスタンブールシルケジ駅で撮影した上の写真。
オーストリアのウィーンとイスタンブールを結んでいたバルカン急行の行き先表示板。
オリエント急行がイスタンブールに乗り入れなくなったあとも、西欧とイスタンブールを結んでいた列車です。
私には、このバルカン急行のほうが、オリエント急行そのものと思えてなりません。
しかしながらきっとこの列車も、2009年の今は運行されていないことでしょう。
最後まで残ったオリエント急行の運行区間は、フランスのストラスブールからオーストリアのウィーンまで、フランスのTGV東線が開通したことにより、2007年にはパリにも乗り入れなくなっていました。
わが日本でも、夜行列車の削減がすすみ、もうほとんど絶滅寸前ですが、ヨーロッパの夜行列車も高速鉄道網の発展により、同じような運命になっていることを感じるオリエント急行廃止のニュースでした。
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