
小田急ロマンスカーHISE(10000形)[11両×2編成]が長野電鉄に無償譲渡される旨、両社からプレス発表がありました。
長野電鉄では来年(2006年)秋から、4両編成に姿を圧縮して、長野と湯田中を結ぶ観光特急として活躍するとのことです。
この小田急ロマンスカーHISE(10000形)は、小田急開業60周年を迎えた昭和62年(1986年)に、SE(3000形)[91年引退]・NSE(3100形)[99年引退]・LSE(7000形)に次ぐ4代目のSEがつくロマンスカーとして登場しました。
そのスタイルはSE車以来の連接構造を持ち、先頭部分もNSE・LSE同様展望室を備えていましたが、決定的に違ったのは
展望室以外の客室を従来のロマンスカーより1段高くし、通勤電車で立って外を眺めるぐらいの視線から景色を楽しめるようにとハイデッカー構造を取り入れたことと、外装をロマンスカー伝統色であったバーミリオンオレンジから、白をベースに赤いラインを纏った塗装になったことでしょうか。
営業運転直前に相模大野の車庫で始めてこのHISE(10000形)を見たときは、従来と違う塗装に随分と違和感を感じたのをつい最近のことのように思いますが、いつのまにかに登場から19年の歳月が流れていました。
今回HISE(10000形)が長野電鉄に譲渡されることになったのは、3月19日から営業運転を始めた新型ロマンスカーVSE(50000形)が2編成登場し、ロマンスカー全体の必要本数に余裕ができたことにに起因します。
しかしながら、まだ先輩格のLSE(7000形)[80年登場]が活躍する中、それより新しいHISE(10000形)[86年登場]が先に小田急から戦線離脱することになったのは、HISE(10000形)の特徴であるハイデッカー構造が、バリアフリーへの対応に大きな改修が必要となってしまうからです。
2000年に施行された交通バリアフリー法では、鉄道車両は延命処理など大きなリニューアル工事を行う際に、バリアフリーへの対応が義務付けられるようになり、登場からまもなく20年を迎えようとしているHISE(10000形)は、まさにこの延命処理が必要な時期を迎えていました。
この問題に小田急の出した答えが、HISE(10000形)を引退させ、その変わりに低迷する箱根への観光客を取り戻すべくグレードの高い特急車両VSE(50000形)を導入することを決定したのでした。
しかしながらHISE(10000形)は、その後に登場したロマンスカー、RSE(20000形)やEXE(30000形)と比べ、もっともロマンスカーらしい印象を持った車両として、VSE登場直前のつい最近まで箱根へのテレビCMにも登場していましたが、製造された4編成のうち3編成はすでに運用を離脱し、残りの1編成もあまり活躍はしていないようです。
さて、いつものように前段が長くなってしまいましたが・・・
このHISE(10000形)が運転を開始したのは、確か昭和62年12月27日。新宿発8:50のはこね号が初列車でした。
まだ10代半ばだった私は、この初列車に乗りに行った記憶があります。
当時は新型ロマンスカーの初列車といっても、今のように多くのファンがその出発風景を見に来ることはなく、いつもと違っていたのは、まだ創業間もない小田急系のケーブルテレビ局が取材に来ていた程度でしょうか?
私もその取材を受け、新型ロマンスカーの印象を聞かれたのですが、どのように返答したかは残念ながら覚えていません。
HISE(10000形)初列車は特に大きなイベントもなく静かに新宿駅を出発したと思います。
車内も特に混雑していた記憶はなく、私のようなファンが1両に何人か見受けられた程度でした。
沿線では今のような鉄道ファンのカメラ光線を受けることなく、まだ通勤ラッシュが続く上り線を気にしながらゆっくりと箱根を目指しました。
車窓からの風景で印象に残っているのは、ほとんどの駅で駅員さんが数名、HISE(10000形)初列車を見守っていたことでしょうか・・・・
このHISE(10000形)では、ハイデッカー構造のほかに新たに導入された技術として、オーダーエントリーシステムがありました。
これは当時まだ残っていた「走る喫茶室」のオーダーを従来のメモ書きから、今のファミリーレストラン等と同様にハンディーターミナルに入力するもので、車端にあった受信機にハンディーを挿すとオーダーが厨房に流れる仕組みだったと記憶しています。
このため従来、注文商品と引き換えに料金収受が行われていたのが、先に商品だけを受け取り、料金は小田原到着直前に改めて立派な清算書と一緒にお姉さんが収受にくる体制を取っていました。
このHISE(10000形)独自のオーダーエントリーシステムは、「走る喫茶室」が平成3年頃にひっそりと消えてしまう前に、すでに使われていなくなっていた記憶があります。
最近登場したVSE(50000形)にもオーダーエントリーシステムが導入されていますが、こちらは注文商品と引き換えに料金収受を行っています。
この後、HISE(10000形)初列車は箱根登山線を走り、終点箱根湯本に到着しましたが、乗客には特に記念品などの配布はなかったと記憶しています。
最後に今となってはお宝?かなと思っているのが下の写真のHISEを模った陶器。
これはHISE(10000形)登場当時、小田急が販売した登場記念グッズで、確か「ロマンスカーえのぐ」として発売されたもの。価格は350円だったと思います。
この製品は真っ白なのですが、中にえのぐシート(1枚の紙にえのぐが固められたもの)がついており、それを縫って遊ぶものでした。
私も購入後、付属のえのぐではなく、プラモデル用の塗料で塗ったのですが片面が終わったところで疲れてしまい、以来約20年間放置されていました。

小田急ロマンスカーが他社線で活躍するのは、SE車(3000形)が1983年に大井川鉄道に譲渡されて以来の出来事となり、今からHISE(10000形)の長野電鉄での活躍が楽しみです。
活躍開始まであと1年近くありますが、その間に長野での走行にあわせた各種改造が行われると思いますが、小田急時代の塗装は当分そのまま残るとのこと。
特急車両という性格上、登場からの年数の割には走行距離は短いはずなので、今後も末永く活躍してもらいたいと願っています。
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