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2005.02.23

北京到着。本当にノンストップだった?
中国鉄路に乗ってみよう!第16話

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【平成16年7月18日】

中国上陸3日目。私は5:30頃起床した。
定刻であれば北京到着は6:58。あと1時間30分程度で到着する。

列車は昨夜から、ずっと心地よいジョイント音を奏でながら快調に走っている。昨夜から停車した記憶がない。
夜中にどこかの駅に停車すれば、ブレーキや出発時の振動で寝ていても気付くと思うのだが、就寝中そのような振動を感じたことがなかった。
もしかしたらこの列車は、機関士が2人以上乗っていて走行中に運転を交換することで、上海-北京間1463kmを11時間58分で、完全にノンストップで走破してしまうのかもしれない。
またそうでもしないと上海-北京間を12時間を切って運行することは出来ないのかもしれない。

上段ベットから部屋を見渡すと、同室の老夫婦とお姉さんはまだ寝ている。
私は静かにコンパートメントを抜け出し通路に出る。窓の外は既に外は明るいのだが残念なことに雨粒が窓ガラスに当たっている。
今日は北京到着後、万里の長城に向かおうと思っていたのだが、このまま雨が降り続けるようならば、残念ながら長城訪問は諦めるしかなさそうだ・・・

時間からすると、この列車は天津を超えたあたりを走っていると推測される。
遠くには大きな煙突がいくつか見えたが、線路の付近は簡単な防風林に囲まれ回りに民家などは一切ない。
線路もほぼ直線で、路線状態はとても良く踏切なども見うけられない。
中国は2008年の北京オリンピック開催までをひとつの目標に高速鉄道の導入を目論んでいるが、在来線でこれだけ線路状態が良いのなら、アメリカの高速列車「acela」のように在来線の活用で240km程度の高速列車の運転が直ぐに実現可能なように、素人の目には映って見える。
実際には数多く走っているであろう貨物列車や一般旅客列車との調整が必要となり、新幹線のような高速別線が必要なのだろうが・・・

そんな自分勝手な中国鉄路の未来像を想像しながら、しばし車窓を眺めていると、少し大きな駅を通過し、停車中の赤い客車を連ねた列車を追い抜いた。
私の乗っている「直達特快」は中国で最優等列車なのだが、旅客列車の追い抜きを見たのは、これが最初である。
きっと夜中に何本もの列車を追い越しているのだろうが、私の指定された窓のないコンパートメント上段のベットからは、そんな光景が見えるはずがない・・・


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さて再び食堂車に行ってみようと思う。
北京には6時58分に着いてしまうので、ほとんど営業時間はないはずだが、ここは「食の国」中国である。きっと営業しているだろう・・・。
そんな希望的予測を胸に、再び9号車の食堂車目指し、約160メートルの散歩に出かけることとした。
途中のコンパートメントは、ほとんど全室扉が閉まっており、まだ就寝中と思われたが、若い女性乗務員は既にお仕事中で、通路のカーテンを束ねている様子を見かけた。

食堂車に着くと、やはり6時前と言うのに営業している。
もちろん昨夜食堂車を占領していたおじさん乗務員達の姿もない。
先客は2組。いづれも一人の中年男性で麺を食べていた。
私は昨夜とは違うテーブルに腰掛けるとさっそく係りの女性がオーダーを伺いに来た。
テーブル上には、プラスティック製のケースに入ったメニューがあり、その一番下の「Breakfast」と書かれた欄の中に「Noodles」の文字を2つ見つけた。
メニューには中国語のほか英語でも記載されているのだが、私の知識では違いがよく読み取れなかったので、上に書かれていたほうを女性係員に指し示した。料金は昨夜同様、前金制で10元(約130円)をその場で支払う。

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しばらくして運ばれてきた麺は、日本の蕎麦ともラーメンとも違う、中国独特のもの。
関東人の私基準では、とても薄味の麺であったが、早朝からこのような暖かいものが列車内で食べれるということは、世界の鉄道の中でも貴重なサービスなのではないだろうか。
さすがは鉄道全盛、そして食の国であると感心してしまうとともに、夜行列車が衰退の一途をたどっている日本の供食サービスと比べ、とても羨ましく思いながら、麺をすすっていた。
私の後からも数組の客が食堂車に来たが、皆同じように麺を注文していた。
食事中、中年男性が奥のカウンター席から、毛布を片手に現れた。見覚えのあるその顔は、昨夜食堂車でビールを私に持ってきたウェイター。
どうやら食堂車の一角は従業員の寝床にもなっているようであるであるが、こんな時間に起きるとは明らかに寝坊であろう。それとも彼には朝の仕事はないのだろうか?

6時20分頃。麺を食べ終え、食堂車を後にする。
さすがにほとんどのコンパートメントの扉は開き、乗客は皆、身だしなみを整えたり、持参した朝食を食べている。
自分のコンパートメントに戻ると、同室の老夫婦、お姉さんとも既に起床しており、言葉が通じないので笑顔で軽く会釈をし挨拶を交わす。
北京到着まで後30分程度。コンパートメントの中は老夫婦が下車準備をしていたこともあり、私は通路の椅子を倒し、近づきつつある北京を感じながら、車窓を眺め北京到着を待つこととした。

さすがに北京に近づいてくると、民家が増えはじめ、交差する道路の車線も車の台数も多くなり、日本の郊外の風景とさして変わらなくなってくる。
列車の右手後ろの方に大きな観覧車が見えたころ列車は大きく減速し、線路が多数に分れ、直達特快はゆっくりと北京駅構内に進入していく。
構内線路の端には、北京市民の生活路があり、一般人の行き交う姿だけでなく、カメラを持って列車を狙っている鉄道ファンらしき人の姿も見ることが出来た。
列車は更に減速し、定刻6時58分調度に北京駅に到着した。

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しかしである。
我が「直達特快14次東方号」は、機関車を入れて20両近い編成が北京駅のホームに入りきらず、一番後ろの1号車と私の乗っている2号車はホームからはみ出して止まった。
まあどうであれ北京到着である。
私は同室の老夫婦とお姉さんに別れを告げると、ホームからはずれた2号車の扉から地面にジャンプし降り立った。私にとって初北京は、ジャンプの着地から始まった。

ふと列車の後ろの方を見てみると、朝もやの残る構内を2本もの直達特快がホイッスルを鳴らしながら同時に北京駅に入線してきた。
かと思えば今度は、既に到着していた直達特快が機関車を後ろにした推進運転で車庫へと向かって出発していく。
朝っぱらから難とも活気のある風景である。
夜行列車が衰退してしまった日本では、まず見ることが出来ない朝のターミナル風景である。
私の飛び降りた2号車の扉はいつのまにか閉められ、1号車2号車の乗客はホームにかかっている3号車から降りている。

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しばらくホームで喧騒を眺めていると、隣ホームにZ14の7分後に上海を出発した、Z99が入線して来たのでその様子をビデオカメラに収める。
ホームには出迎える人の姿も見えるが、中国の鉄道駅は基本的に乗車券がないと入場できないはずなので、この人達がどのようにして、ここまで入ってきたのかとても気になる。
昔読んだ本に中国にも駅に入場するだけ為の切符。いわゆる入場券があると聞いたことはあるが、本当にそのような券を買ってホームに入ってきているのだろうか?

北京駅の出口は、ホームからスロープを下りると、地下通路にある出口専用の改札につながる。
地下通路の中央には新聞などを売る屋台が並び、売り子が大きな声を張り上げ客寄せしている。
出口専用改札口には女性係員が立っていたが、各自の切符を見ているだけで、切符の回収は行われていなかった。

改札の前には列車から降りてくる知人を待つ多くに人がおり、私は彼らをかき分けながら進み北京駅前の広場にたった。
空を見上げると雨も小ぶりになっている。

「よし!万里の長城行きの列車に乗ろう!」

私は万里の長城に向かう列車が出発する「北京北駅」を目指し、地下鉄へと向かった。


つづく

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2005.02.19

「はやぶさ・さくら」の機関車交換風景(下関にて)

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一昨日、仕事で下関駅前のビジネスホテルに泊まりました。
翌朝の出発時間がちょうど「はやぶさ・さくら」の到着と重なったので、その到着風景と下関ならではの機関車交換風景をカメラに収めることが出来ました。

「さくら」は、今月末に廃止されると言うことで、列車到着前から私を含めカメラを持った人が数名ホームにいました。
下関駅4番ホームに、東京から牽引してきた機関車「EF66」を先頭に「はやぶさ・さくら」が入線。
すぐに、機関車が切り離されます。
この風景を見ようと、列車から多くの人がホームに降りていたのにびっくりしました。

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東京からの「EF66」が客車から切り離されると、今度は関門トンネルを越え、列車を九州への導く「EF81」が連結されました。
残念なことにこちらの機関車にはヘッドマークがありませんでした。
このEF81は、きっと「はやぶさ・さくら」を鳥栖・または熊本まで牽引するものと思われますが、心無い人によりヘッドマークが盗まれてしまい、このようなヘッドマークのない姿になってしまったようです。

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列車から降りて、この機関車交換風景を見ていた人も、このヘッドマークのない機関車には残念そうな声が聞こえました。
機関車の連結が終えると、ホームに降りていた乗客たちも足早に客車に戻り、程なく列車は熊本そして長崎を目指し、関門トンネルへの向かっていきました。

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2005.02.12

直達特快の無料食事サービス&食堂車
中国鉄路に乗ってみよう!第15話

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上海駅を出発した直達特快は、ホームを過ぎると次第にスピードを上げ始める。
日本の電車王国に慣れている私には、音もなく加速していく客車列車の静穏な走りにも旅情を感じてしまう。
上海駅出発直後の車窓は、住居などの建物が密集が映っていたが、10分もすると緑豊かな郊外の風景となる。
19時発と出発時間は遅かったが、夏の遅い日没のおかげで、暮れゆく上海郊外の景色をしばらく楽しむことが出来た。

出発して10分ぐらい立った頃、女性乗務員がワゴンを押して各コンパートメントに夕食を配り始める。
中国全土の直達特快の中でも夕食サービスがあるのは、この「Z14次」を含め数本しかなく、とても貴重なサービスのある列車に乗れたことに感激する。
私の隣で出発前から横になっていたおばさんも、夕食の匂いを感じたのか起きだした。
配られた夕食は、小さな紙製の箱と銀紙製の容器に入ったお弁当。
紙製の箱の表には、なぜかスウェーデンの高速車両「X2000」の写真と、お皿にのった高級そうな料理。さらには西洋人の料理人の写真があったが、中に入っていたのはそんな高級料理ではなく、「サラダ」「パン」、デザートの「お菓子」に「バナナ」だった。
銀紙の容器はとても暖かく、ふたを開けてみるとご飯に肉と野菜類を煮込んだものがかけられていた。
残念ながら、お茶などの飲み物は配られなかった。

このころから同室の老夫婦と若いお姉さんと少しずつコミュニケーションが出てくる。
同室の3人は、配られた夕食をベットに置いた際に、シーツなどを汚したりしないよう、各自座っている横に部屋備え付けの新聞を敷いたのだが、隣のおばさんは私の横にも親切に敷いてくれた。
この時おばさんに笑顔で何か話しかけられたんだが、当然何を行っているのか解らない。
おばさんは向かいにいた若いお姉さんに、「あなた何か話せないの?」みたいなことを言っているが、お姉さんは首を横に振るばかり・・・
食事がはじまると、私の食欲が旺盛にみえたのか、おばさんから「これも食べなさい」と、サラダが渡され、早速頂いてしまう。
暖かいご飯を食べている私をおばさんは笑顔で見ていたかと思うと、おじさんに何か相談している。
おじさんは近くにあった新聞にペンで、「牛」と書いて私に見せた。
牛肉を使った食事であることを伝えたかったらしい。私が笑って理解したと素振りを見せると、老夫婦とお姉さんは満面の笑みを浮かべ、「牛」の発音を教えてくれ、私もそれを真似したりすることで、コンパートメントが和んできた。
すると今度はそのホットミールをお姉さんが食べないかと差し出してきたが、さすがにメインであるご飯をふたつ食べれるほど私は大食ではないので、こちらは遠慮した。

コンパートメント内に設置されたスピーカーからは常に音楽が流れている。音楽といっても歌謡曲なのだが、これが中国の歌ばかりでなく、なんと日本の演歌も当たり前のように流れてくるからびっくりする。
老夫婦に「日本」「歌」等と書いてみせると、フンフンと笑顔で頷いていた。

そんな言葉の通じないコミュニケーションを楽しみながら食事を一通り終えると、再び廊下にワゴンが現れ、食べ終わった弁当の回収を始める。
弁当が回収されると、もう何もすることがない。老夫婦は車内備え付けの新聞を広げ、お姉さんは扉脇にあるステップを倒し、上段のベットに上がり、読書灯をつけ持参した本を取り出した。
私も本来なら、このコンパートメントで同室になった彼らともう少しコミュニケーションをとってみたかったのだが、この列車の食堂車は絶対に覗いてみたい。
おばあさんも、上海出発時横になっていたこともあり、上段の私が下段に座っていては迷惑かも知れない。
そんな理由もあり、私は鞄から再びデジタルカメラを取り出し、食堂車に向けコンパートメントを出ることにした。

私の乗っている「2号車」から9号車の「食堂車」までは、約200メートル。
途中のコンパートメントは既に扉が閉まり中が見れなくなっている部屋もあるが、概ね満室のようである。
ある中国のWEBニュースサイトの2004/07/26付けの記事では、北京-上海間の「直達特快」の乗車率は99%で、団体や外国人の利用が多いと書かれていたが、実際に列車に乗ってみても高い利用率が確認できる。
また各車両の端には、「トイレ」と「乗務員室」があり、乗務員は2両に一人づつ若い女性が中に座っていた。
2両に一人づつ乗務員がいると言うことは、寝台車が18両連結されたこの「直達特快」では、9名ものこのような乗務員がいることになる。
そのせいなのか女性乗務員は、特に何か仕事があるわけでもなく、皆手持ち無沙汰のようであった。
私が中国語が少しでも話すことが出来たら、色々と会話がしてみたいと思ったが、こればかりは願わぬことである。

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さて「食堂車」についた。時計は19:20だった。
設備としては、4人がけ用のテーブルが10セットあり、さらに車端にはベンチ型のカウンターが設けられている。
天井には液晶テレビが数台吊るされていたが、残念ながら何も映っていない。
10セットあるテーブルのうち、6つは埋まっていたが客と思われるのは2組。あとの4のテーブルは乗務員と思われる人で占領され、弁当らしきものを食べている。
やはり乗客全員に食事が配られる列車で、更に食堂車で何かを食べようと思う客はほとんどいないようである。
私は空いているテーブルに腰掛けると、程なく女性係員が注文を取りに来る。この女性。寝台車の乗務員とは違って少し年季が入っている。とても若いとはいえない・・・・

メニューを見るが、漢字ばかりでとても理解できない。とりあえず「ビール」というと、「ハイネケン?」と返事してくれたので、ビールは理解してくれたようだ。
そのほか何かつまみになりそうなものが欲しいがメニューが読めなくては仕方がない。値段をみて安い品を適当に2品指差した。
すると女性係員は手持ちの伝票に注文したものを書き込み、その伝票に書かれた値段を私に見せ、前金だというジェスチャーを見せる。
この時の値段が残念ながら私の旅行メモに残っていないのだが、確か40元程度だったと記憶している。

テーブルでお金を支払いしばらくすると、先ほどとは違って無愛想な男性係員がカウンター席の奥にある冷蔵庫からハイネケンを取り出し、私のテーブルに置いた。
しかしグラスがない。さすがにハイネケンを瓶のまま飲むのには抵抗があるので、グラスが欲しい旨伝えると、面倒くさそうな顔をしてグラスを持ってきた。この辺はお国柄なのでしょう・・・
さらにしばらくすると、先ほど頼んだ安い品が2品出てきた。出てきた品は大豆を煮たような品と、えらく脂っこく揚げられた魚。
どちらの品も食べられないことはなかったが、美味しいと思える品ではなかった。
言葉が解らないと言うのは、こういうときに悲しい思いをするものだと、再認識してみたりする。

出てきた料理に問題はあったが、食堂車でビールを傾けながら流れ行く車窓を見ているのはとても優雅な気分に浸れる。
車窓と言っても、ほとんど真っ暗でなにも見えないが、時々通過する駅の明かりが見えるだけ、あとは列車の揺れがとても心地よい。
食堂車で過ごす時こそ、もっとも贅沢な列車の旅ではないかと私は思っている。
しかしながらこの列車は良く揺れる。食堂車でグラスにビールを注いでいるから、揺れが大きく感じるのかも知れないが、ずっと最高速度の160キロで走っているのかも知れない。
私の周りのテーブルが空席だったこともあり、手持ちの携帯電話で日本の友人に、食堂車で至福の時を過ごしていることを伝えている時に「無錫」を通過した。

ところがこんな私の至福の時間を邪魔する輩がいた。
その輩とは食堂車のテーブルを4つも占領している乗務員そして食堂車の従業員と思われる人たち。
彼らは寝台車にいる若い女性の乗務員とは違い、中年以上のおじさんたち。
ただテーブルを占領しているだけなら、利用客が少ないこの列車では特に問題ないが、彼らは騒音とも思えるほど大きな声で話すのである。これもお国柄なのだろうか? 
最大9人ものおじさんたちが集り、食堂車は彼らの溜まり場になってしまっている。
時々寝台車の若い女性乗務員が食堂車を通ると、ちょっかいを出しているが、女性乗務員は慣れたもので、笑顔で答え相手にはしていないようだった。
それにしても、本当に寝台車の女性乗務員達はかわいい娘が多い。

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食堂車に来て1時間経った、20:40に食堂車を後にする。
帰り際、厨房がガラス張りで中での調理の様子が丸見えなのに気が付いた。更にその厨房の反対側の通路には写真が何枚か飾られている。
パネルには「東方号 江澤民」と書かれたもの。更には江澤民らしき人がこの食堂車で談話している写真がある。
これらパネルから、この列車の名前「東方号」とは、どうやら江澤民が命名したようだ。
私がこれらの写真を熱心に見ていると、さっきの乗務員の一人が話しかけてきたが、残念ながら言葉が解らなかった。
私的には江澤民が列車を視察している写真よりも「BEST SERVICE TEAM」と題された、寝台車の女性乗務員達の楽しそうな集合写真がとても印象的だった。

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2号車の自分のコンパートメントに戻ると、老夫婦はやはり夢の中・・・
若いお姉さんは起きていて、上段で読書を続けている。
私も上段の自分のベットに腰を落ろし、旅のメモを書き綴って時を過ごす。
時間は21:00.上海を出発して既に2時間経つが、列車はずっと高速で走ったままである。
この後1時間ぐらいして横になったが、列車が一度大きく減速することはあったが、停車はしなかった。
ベットに上がってしまうと外の景色を眺めることも出来ないので、私も眠ることとした。

つづく

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運転手さんの息遣いが聞こえる電車(福北ゆたか線)

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先日、北九州を訪ねたとき、乗っていてとっても楽しい電車に乗りました。 
その電車とは、写真の福北ゆたか線(筑豊本線)のワンマン電車です。

何が楽しいか?

普通の電車と言うのは、運転台と客室は完全に分離されていて、別室となっていますが、この電車はワンマン運転を行うためか、その運転台と客室の分離がとても簡単なものになっています。
右の写真にある、客室内の一角に、ちょこっと囲まれた部分が運転台です。
完全な密室とはなっていないようで、運転手さんが大きな声で行う指差確認の声が客室まで聞こえてきます。

「出発進行!」だとか
「○番入線。制限速度○○キロ!」などなど

運転席にかぶりつくことなく、普通に客席に座っているだけでも、運転手さんの声が聞こえるなんてあまり経験がないことで、短い区間の乗車でしたが、楽しませてもらいました。
こんな電車に普段から乗っている子供達は、期間の長短はあるにしろ、きっと鉄道好きになっていくのでしょうね。

2005.02.11

ブルートレインのヘッドマーク盗まれる

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Yahoo!ニュース 共同通信特急「さくら」マーク盗難 引退直前、急きょ製作中

今月末、東京から2本のブルートレインが廃止になります。
廃止になるブルートレインの名は「あさかぜ」と「さくら」。
どちらの列車名も、鉄道に興味のない方でもご存知の方が多くいらっしゃるブルートレインを代表する代表列車です。

昨今の新幹線や飛行機の充実により、ブルートレインの利用客が減少。そのような理由から大きなてこ入れもなく、古い車両を使い続けるブルートレインが廃止されていくことは、鉄道が好きな人間にとっても、ある意味、仕方ないと思っています。

しかしながら、どうしてでしょう? この手の話になるというも決まって、鉄道ファンの”犯罪”が発生します。

ブルートレインは、昔のSL時代の鉄道と同じように、先頭に機関車が連結される、客車列車です。
この機関車には、牽引しているブルートレインのヘッドマークが付けられています(写真参照)
ヘッドマークは、ある意味無愛想な表情の機関車の顔に華を咲かせ、列車全体の雰囲気を盛り上げる重要なアクセントかと思っています。
機関車のヘッドマーク掲示は、客車列車が多い外国の鉄道では、ほとんど行われることがなく、日本のブルートレインが行っている素晴らしいサービスかと思っています。

日本の鉄道ファンも、このヘッドマークという被写体を狙って、ブルートレインの写真を撮っている人を多く見かけます。

なのに・・・

JR九州が所有する「さくら・はやぶさ」と書かれたヘッドマーク6個のうち、5個もが盗まれてしまうとは、どういうことでしょう?
なくなってしまう列車のヘッドマークを自分だけのものにしたい? オークションで高値で売り飛ばす?
どういう理由かは当事者でないとわかりませんが、最近は何かと鉄道関係での盗難の話を耳にするようになりました。

長い歴史を持った列車の引退に、このような暗いニュースを作ってしまう犯罪を犯す鉄道ファンは許せません。

更に思うのは、「鉄道趣味誌」そして「各鉄道会社」においては、このような犯罪に結びつきそうな特集・イベントは自粛していただきたいと思っております。
さみしい話ですが、秩序が守れない鉄道ファンが存在する限り、必要な処置かと思っています。

<関連記事>
mattoh: 繰り返される蛮行(ヘッドマーク)
しんけいすいじゃく: 人、それを「泥棒」と言う
海外鉄道旅行愛好者: 鉄道ファンの横暴に思う・・・

2005.02.06

山梨リニア実験線を上空から確認する。

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羽田から大阪・福岡などの西行きの飛行機に乗ると、東京湾で高度を上げたあと多摩川を右に見ながら川崎市を北上し、田園都市線上空あたりに差し掛かったところで、一路西へと進路を向けることがほとんどです。

西への進路が定まった頃、右側を見ると、真下には私の生まれ育った「よみうりランド」、そして少し奥には今住んでいる「田無」の街も確認することが出来ます。

更に3分ぐらい進むと、右手の景色には山々が見え始め、その中に一直線に引かれた人造物を確認することが出来ます。
この長い直線。途中トンネルで切れている箇所がありますが、トンネルの前後も定規であわせたように一直線なっているのが、上空から良くわかります。

これが「山梨リニア実験線」
写真の右下から左上に向けて伸びる直線が”それ”です。

数年前から行われている試乗会に何度も申し込んでいるのですが、今だ1度もあたったことがなく、残念に思っております。
上海のリニアは昨年体験することが出来ましたが、今年は、このリニアで500kmを越える速度を体感してみたいと願っています。

でも飛行機から下の景色を見るのって、列車の車窓とは違う楽しさがあり、結構好きです。

「韓国鉄道の旅」ガイドブックが発売される。


昨年(2004年)4月に新幹線「KTX」が開通した韓国。
韓国ドラマの人気もあり、韓国への渡航者が増えているとのことで、本屋さんの外国ガイドブックのコーナーに行っても「韓国」の文字を良く見ます。

そんな観光ブーム中である「韓国」ですが、鉄道に的を絞った最新のガイドブックがJTBキャンブックスの最新シリーズとして発売されました。
韓国鉄道の旅―KTXで拓く新しい韓国の旅

この本では昨年開通したばかりのKTX。そして在来特急であるセマウル・ムングファなどを紹介しているのはもちろん、鉄道撮影地ガイドや京義線の韓国側最先端である「都羅山」への行き方、更には食堂車営業列車の時刻案内など・・・・韓国の鉄道を楽しむために必要な情報が満載です。

しかし・・・
写真も多く資料としても役に立つのですが、全体の構成と文章が正直うまくないと感じました。
この本を作るにあたって、著者は2004年に7回も韓国に行っているとのことでしたが、その膨大な情報の扱いに苦慮されたのでしょうか? 

それでも・・・
鉄道・汽車旅好きが韓国に訪問し、鉄道を楽しむには十分有用なガイドブックであると思います。
私もKTX開通後の韓国に非常に興味があるのですが、最近の韓国ドラマのブームが落ち着くまで、しばらくお預けにしようと思ってます。

(ブームの影響か? マイル交換による無料航空券が、なかなか取れません)

<PS>
KTXが開通した今でも、私が約10年前に新横浜-ソウルを乗りとおした鉄道旅行記「明日、セマウル乗ろう!」には、まだまだ多くの人に訪問いただき、嬉しい限りです。

<追記>
この本にも写真が掲載されていた韓国の寝台車が廃止されてしまったようです。
全室個室、しかも日本で韓国の寝台での乗車記を紹介しているサイトがあまりないので、次回の訪韓時に乗ってみようと目論んでいたので、とても残念なニュースです。
ソウルで、こんなこと考えた。: 寝台車全廃

2005.02.05

300系のぞみに乗車中

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いま小倉から「のぞみ」に乗りました。
なんと来た車両は、もう「のぞみ」で使われることがないと思っていた「初代のぞみ型車両」300系。
線路状態の良い山陽新幹線でも時速270キロしか出せず、最新の700系を使う山陽新幹線のイメージシンボルである「ひかりレールスター」の方が下位の列車ながら最高時速285キロで早い・・・

この「300系のぞみ」は、臨時列車でマニア的には希少な存在かもしれませんが、車両は揺れるし、指定された座席は、何故かまた目の前が壁で、人が通る度に自動ドアの騒音があるの落ち着かない場所・・・
東京までの5時間。、こんな不運な座席で過ごさないといけないと思うと、いくら私が列車好きとは言え、素直に飛行機で帰ればよかったと思ってしまいます。

また・・・
新幹線の指定をとって3回も連続して、大嫌いな壁前の座席を指定された私って、なんなんだろう・・・

2005.02.02

WEBサイト開設7周年を迎えました!

2月1日は、私のWEBサイトの誕生日です。

最初のサイトである「ひとり汽車旅・のりものの旅」の公開を開始したのが、1998年2月1日で、満7年を達成
このBLOGサイト「海外鉄道旅行愛好者」を開設したのが、昨年の2004年2月1日。
どちらのサイトも2月1日という同じ日を正式OPENとしています。

98年の開設から、「ひとり汽車旅・のりものの旅(本サイト)」のTOPページは3回の模様替えを行い、昨年からはサブサイトとしてblogサイト「海外鉄道旅行愛好者」をOPEN。
また本サイトにはブロードバンド時代に対応した動画専門のページを新設するなど、開設から7年間の間に進化するインターネット事情に合わせ、管理者としても楽しみながら、サイトの仕様を少しずつ成長させてきました。

どちらのサイトも、自分本位な公開にもかかわらず、この7年の間には多くの方にご訪問頂けた事を嬉しく思っております。
私の経験してきた鉄道旅行の記録が中心のサイトですが、このサイトを見て、情報が役に立ったとメールなどを、沢山頂けたことが、何よりの励みになっております。

この7年の間には、このサイトと同じように「鉄道旅行」を主体としたWEBサイトも多く登場しましたが、またいくつかの優良サイトも、維持・管理の継続を理由に閉鎖されていきました。

webサイトの維持には、個人差はあれ、ある程度の気力が必要かと思っております。
しかしながら、この「ひとり汽車旅・のりものの旅」そして「海外鉄道旅行愛好者」は、管理人である私のライフワークのひとつとなっております。
これからも更新の頻度にはムラがあるとは思いますが、世界の鉄道そして乗り物の旅をテーマに、ここを訪れて頂ける方とともに楽しんで行けたらと思っております。

8年目に入る「ひとり汽車旅・のりものの旅」。そしてこのBLOG「海外鉄道旅行愛好者」を、今後ともご愛顧頂きたくお願い申し上げます。

平成17年2月1日 webmaster 倉科 光芳

<PS>
おかげさまで本サイト「ひとり汽車旅・のりものの旅」の現在のアクセス数は、開設以来 299,128.
まもなく30万人目のお客様をお迎えすることが出来そうです。

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