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2005年1月30日 (日)

フランスのターボトレインが引退

ttrainfrance

先日発売された鉄道趣味誌にフランスのターボトレインが昨年(2004)12月をもって引退したと記事にありました。
フランスのターボトレイン。
私が1988年頃、はじめてフランスを訪問した時に2回ほど乗ったことがあります。
当時フランスで走っていた長距離列車は新幹線であるTGV以外は、機関車牽引の列車がほとんどで、固定編成のターボトレインはちょっと異色の車両だったかもしれません。
動力は先頭側の車両半分にディーゼルエンジン(ガスタービン)があり、その車両の騒音は結構なものでしたが、それ以外の車両は静かだったことを覚えています。
座席は当時フランス全土で走っていたコラーユ型客車についていた、リクライニングのしない二人用固定座席と違い一人分が独立したリクライニングシートでした。
雑誌によると最高時速は160kmだったようですが、相当燃費の悪い車両だったようです。(100km走るのに700リットル以上の燃料を消費するらしいです)
最後の活躍区間はリヨン-ボルドー間。ちなみに私の乗車区間はシェルブール-パリ・サンラザールの列車でありました。

この車両は、アメリカにも輸出されアムトラック塗装で活躍していたシーンも写真で何度か見たことありますが、今では全車引退していることでしょう。
最後に残ったターボトレインも中東への譲渡の話があるようです。中東では燃費は関係ないのかな・・・・

写真はフランスの鉄道博物館最寄のミュールーズ駅で1990年頃に撮影したものです。

2005年1月28日 (金)

今年は台湾も行きたい!(台湾新幹線試運転開始)

昨日(2005/01/27)にいよいよ台湾新幹線の試運転が始まったと報道されました。
台湾新幹線は日本の新幹線技術を海外で初めて採用したもので、車両は東海道新幹線にそっくりの700T型。
真っ白い車体にオレンジ色のラインをつけた700T型が動いている姿をテレビで見たときは、ちょっとした感動でした。

試運転は日本のベテラン運転士がハンドルを握ったそうで、これにもちょっと驚きました。
昨日の試運転では時速は30km程度で、一部区間(台南-高雄60km)だったようですが、これから徐々にスピードを上げ営業運転予定速度である300kmまで引き上げられるのと、全線(台北-高雄345km)での試運転に拡大されていくと思います。

開業予定は今年の10月。
私はまだ台湾を訪ねたことがありませんが、この台湾新幹線開通を機に訪ねたいものです。

昨年開通した韓国の新幹線。KTXは、今の韓国ブームが終わるまで飛行機のチケットが取りにくくお預け状態ですが、今年は私の人生初の年2回の海外鉄道旅行をしたいと、密かに目論んでおります。
どうなることやら・・・

<関連記事>
台湾新幹線 台南-高雄間で試験走行 10月末開業へ
「台湾新幹線」が試験走行を開始・日本製車両公開

2005年1月25日 (火)

社長へのトラックバックは社員の反応が早い?!
ココログ新年会に出席させて頂きました。

@niftyのweblogである「ココログ」のパーティーに出席させていただきました。
昨年までは同時期に「ホームページコンテスト」なるものがありましたが、最近のblogユーザーの増加とプロバイダー側の戦略もあってか、今年はblog(ココログ)に的を絞ったイベントとなったようです。

「ココログ新年会」と名づけられたこのイベント。
内容としてはココログで公開されているblogの中から、優秀なサイトひとつを書籍化するというもので、応募のあった1081サイトから、「フクダカヨ絵日記」が受賞されました。
このサイト。私は訪問したことがなかったのですが、この記事を書くにあたり見てみると、そのタイトル通りにオリジナルの絵と短い記事を掲載したもの。
失礼ながら文章だけなら他のblogでも見れるような内容かと思いましたが、さすがに絵が各記事につくとインパクトがあります。
このコンテストに応募した一人として感想を簡単に申し上げるとすると、やはり文章だけでなく、それに沿えるオリジナルな技術を持っている人は強いなーと言うところでしょうか?
管理者のフクダカヨさんには、ココログブックス賞の受賞。こころよりお祝い申し上げます。

さて、今回の「ココログ新年会」に参加させて頂いて一番楽しかったことは。
主催者である@niftyの古河社長とカレーを食べながら談話をさせて頂いたこと。
このカレーはパーティーの中休みに会場で振舞われたもので、カレーを手にされた古河社長が席を探している時に、半ば強引に呼びとめ、一緒に食事させて頂きました。
古河社長からは、ココログのハード面・ソフト面における品質維持や、プロバイダーの枠を超えてblogを盛り上げていきたい旨のお話。またこのパーティーでなぜ、最初に社長が演説しなければならないのか? このパーティーの主役はココログユーザーなのだから、もう少し趣向を凝らしても良かったのでは・・・ 等など第2部が開演するまでの間、色々なお話を聞かせて頂きました。

中でも印象深いのは「社長へのトラックバックは社員の反応が早い」ってことでしょうか?
(古河社長は、ココログを公開しています。)
どこの会社でも自社の社長の行動には敏感に反応しているってことなのでしょう・・・
社長に記事にされる前に、トラックバックの先の指摘事項を確認される前に、社員が対応をとっているということかと思いましたが、社長としてはもっと広い視野で顧客の要望を受けとめてほしいというような、社員の方々へのメッセージと受け取りました。
こればかりは、どこの社会環境でも同じなのでしょうけど・・・・・(みなさん、がんばりましょう!)

まずは古河社長に貴重なお時間を頂けたこと、深く御礼申し上げます。

withfurukawa

ところで、今回の「ココログ新年会」。参加させていただいた1ユーザーの視線から、ぜひ改善を検討頂きたい点がいくつかあるので、最後に列記させてもらいます。

<1.乾杯のドリンクは無料とし、乾杯直前までに段取り良く配りましょう!>
入場料は1,000円で2ドリンクではなく、フリードリンクで検討して頂きたい。

<2.受賞者5名中。2名しか参加者がいないのは盛り上がりに欠けます。>
参加できなかった受賞者の事情もあるでしょうが、ノミネートされた方を全員壇上にあっげて紹介し、その中から受賞者を紹介する方法も、次回以降けんとうされたい。

<3.ココログユーザーの書く意欲を与えていただきたい。>

今回のココログブックスコンテストの応募サイトは1081と聞いております。選考された方は毎日ココログを巡回し一生懸命、優秀なココログを探すため点数をつけながら回られたと話されていました。
なのにノミネート作品は10数サイト・・・・
それ以外の1000以上のココログについては一切触れられておりません。
今回応募したココログユーザーの多くは自分のサイトの評価はどのくらいだったのだろう?と興味を持っているのではないでしょうか?
せめて何らかの形で、ノミネートに漏れたココログを紹介してほしかったと思います。
「あともう少しでノミネートされるところだった」「もう少しの努力だ」とか、「全然力不足なのか」など
自分のココログの評価を第3者に見てもらうことによって、書くという活力につながるのではないでしょうか?
こればかりは主催されたプロバイダーしか出来ないこと。
blog・ココログを盛り上げるため、そのユーザーの書く意欲を更に向上させるため、主催者しか持てない施策の活用を考えてもらいたいです。
昨年の「ホームページコンテスト」では、受賞式に参加させて頂いたユーザーから選考された方々に質問出来る時間もあり、その中でノミネートはされなかったけど、もう少しと言う作品を教えてほしい旨の意見もあり、選考者の方もこれに応えていたのを覚えていますので、今回も含め今後検討頂きたく思っております。

ノミネートに漏れたココログにも励みがほしいです!

<4.ホームページコンテストも開催してほしい!>

いま個人が開設するインターネットサイトの流れはblogであり、プロバイダー側もblogをもっと広めたい意向があるのかと思います。
しかしながら一般のwebサイトには、blogでは表現不可能な様々な開設者の思考が盛り込まれていると考えています。
私もblog以外に一般のwebサイトも開設しており、更新頻度はblogの方がはるかに高いながらも、blogはサブサイトとしての考えを譲っておりません。
開設者の個性によるデザイン、フラッシュや動画などのコンテンツを一生懸命作っているwebサイトユーザーにも目を向けていただきたく切に希望しております。


<最後の最後に・・・>
・司会の方。
受賞者のお名前などの間違えが他のココログで指摘されていました。お忙しいとは思いますが、お名前は念入りにチェックされましょう!
でも参加者の中で、ココログ新年会のことをもっとも早くご自身のblogに公開されていたのは素晴らしい!

・室井様、吉井様
ココログ新年会に参加したほとんどの人が、当日出演されたお二人の感想blogを期待していると思うのに、書きこみ遅いのはどうでしょう?
ココログのイベントだったのだから、このへんは素早く記事にしていただけたら嬉しかったのですが・・・

・古河社長と話したかったと、自身のblogで書いている方
みなさん遠慮深すぎません? 怖がらず積極的に声をかけましょうよ!

<ココログ新年会の模様はこちらから>
ココログ新年会で「ココログブックスコンテスト」受賞作品が発表

2005年1月24日 (月)

山手線から205系引退間近・・・


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今年(2005年)4月。山手線1周の所要時間が現在の約62分から3分程度短縮されて、60分を切るとの報道がありました。
山手線1周の所要時間は、1925(大正14)年の山手線開業当時約72分だったものが、その後の技術改良などを経て、開業から80年たって念願の60分を切ることが出来るそうです。

この山手線1周60分を切るために、そーっと消えていく電車が写真の205系と呼ばれる電車。
この電車が登場したのは、今から約20年前の私が15歳の時。
当時はまだJRではなく国鉄だった時代。
この205系は今では当たり前になりつつあるステンレス電車の中で、国鉄として初の車両であり、登場当時は鉄道ファンならず一般の方からもとても注目されていました。
私もまだ1編成しか製造されていなかった205系を追いかけ、山手線を1周したりしたのを良く覚えていますし、そんなに昔のことではないような気がします。

この度、1周60分の壁を切るため、この205系電車は4月までに全車が山手線から他の路線に転職します。
登場当時を知っている電車に迫る世代交代は、自分がそれだけ長く生きてきたことを思い知らされるようで、ちょっと複雑な心境です。

2005年1月23日 (日)

小田急新型ロマンスカーVSE試運転風景(その2)

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昨日、小田原駅でVSEの試運転風景を収めてきました。
昨年末の12月25日。厚木駅を通過するVSEをビデオカメラに収めて以来、2度目のVSEとの対面です。
前回は駅を通過する風景をビデオで撮っていたため、肉眼で実車をほとんど見ることが出来ませんでしたが、昨日の小田原駅では試運転折り返しの約20分間。じっくりと観察することが出来ました。
残念なことに、試運転を見る予定がなかったためビデオカメラを持っていなく、動画を撮ることは出来ませんでしたが、それでもデジカメで試運転ならではの写真を撮れたのではないかと思っております。

今回小田原駅で撮影したVSEの試運転画像を久々にhtml形式で公開しました。
サーバー容量節約のため大きな写真は載せていませんが、それでも試運転中のVSEを楽しんでいただける画像集になったかなと思っております。

小田急ロマンスカー50000形VSE試運転

広告収入のスマトラ沖地震義捐金への寄付について

mizuho
本サイト(ひとり汽車旅・のりものの旅)及びBLOGサイト(海外鉄道旅行愛好者)では、2002年ごろから、サイト上にアフィリエイト広告を掲載させていただいております。
このアフィリエイト広告は旅行関連のものを限定として表示しており、当サイトの画面をより旅行色に仕立てるとともに、訪問いただいた方に関連情報の提供出来るものとして掲載を続けております。

この度、これらアフィリエイト広告掲載の代理店であるバリューコマース社より、広告掲載を開始した2002年以降の広告収入が支払い最低金額である5,000円を越えた旨の連絡を頂き、2005年1月17日に振込み手数料を差し引かれた「4,946円」が私の個人口座に振り込まれました。

この広告収入「4,946円」について、日本赤十字社を通じ「スマトラ沖地震義捐金」として寄付させて頂きました。
このサイトをご訪問いただいた方の広告クリックや広告を通じての購入による広告収入を、この義捐金に使用させていただいたことをご報告するとともに、被災地での1日も早い復旧をお祈りしてます。

平成17年1月23日

ひとり汽車旅・のりものの旅・海外鉄道旅行愛好者
WebMaster 倉科 光芳

(画像をクリック頂くと、振込表が拡大できます)


2005年1月12日 (水)

スタートレイン最新作「つばめ、翔ぶ編」発売

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バンダイから発売されている電車の精巧な模型が付いている食玩「スタートレイン」シリーズの最新作を先日自宅近所のイトーヨーカドーで入手しました。

今回は第4弾ということで、主に九州の特急車両がメインのラインナップになっています。
この「スタートレイン」シリーズ
鉄道模型のNゲージを同じサイズで作られており、1個300円(希望小売価格)とは思えないほどの精巧さです。
前作の第3弾までは組み立て式だったのですが、今回はなんと完成品が入っており、更に精巧さが増したように思えます。

早速購入した2つのスタートレインを並べて写真を撮ってみました。
せっかくなので、登場当時ドイツのICEに良く似ていると言われた「かもめ」とその「ICE3」を並べてみました。
「ICE3」は先日惜しくも日本法人が破綻してしまったデルプラドの「世界の鉄道」のものです。
こうやって並べてみると「かもめ」と「ICE3」。結構違うような気がします。

それにしてもこのスタートレイン。
本当に300円の食玩とは思えない出来で、鉄道模型メーカーもうかうかしていられないのではないでしょうか?
一消費者として、すぐに次シリーズを期待してしまいます。
私の希望としては「ほくほく線のはくたか」や「JR四国のしおかぜ」。あと私鉄シリーズもほしいななんて思ってます。

でも本当はデルプラドの商品が日本で入手困難になってしまった今、外国の車両をラインアップしていただけたら嬉しいのですが、外国物をシリーズ化しても売れないから、夢物語でしょうね・・・・

<関連ページ>
2005 スタートレイン4 つばめ、翔ぶ。編

2005年1月10日 (月)

北京に向けて「直達特快」出発進行!
中国鉄路に乗ってみよう!第14話

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いよいよ私の目の前に現れた「直達特快」。
真っ白い車体で、窓周りに青い帯を巻き、プラグドアを装備した車両はとても美しく保たれている。
中国の鉄道車両といえば、少し前まで軍事色のような緑色の車体が一般的だったような記憶があるが、「直達特快」用の車両には、緑色の中国の鉄道車両の面影は一切なく、ヨーロッパの最新鋭の客車のような雰囲気が漂っている。
この客車は「RW25T」と呼ばれる軟臥車(A寝台)で、全長26メートル・最高時速160kmを誇る中国鉄路最新の客車である。(RWは軟臥であることを示している)
列車は2両に1両の割合で扉が開き、号車番号が掲げられ乗車口となっている。
各乗車口には若い女性の客室乗務員が立ちお客を迎える。
私に指定された2号車は、後から2両目の車両。客室乗務員に切符を見せ、タラップを踏みいよいよ車内へと乗り込んだ。
中国鉄路の軟臥(A寝台)は全てコンパートメント構造。
1部屋は上・下段ベットが向かい合わせの4人部屋で、この「RW25T」には、1両に9部屋のコンパートメントがあり、定員は36名となっている。
車内の通路は絨毯、窓にはレースのカーテンがひかれ、とても清潔な印象である。同じ夜行列車でも日本の衰退していくブルートレインとは比べ物にならないぐらい綺麗である。

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さて、自分の部屋は?
と思いコンパートメントの扉付近にあると思われるベット番号を探して廊下を歩くが、扉にはコンパートメント番号しか書かれていない。
私の切符には、「2車2号上段」と書いてある。
もしかして、「2号」とはベット番号でなく、コンパートメント番号なのでは?と思い、「2」と書かれたコンパートメントに一人でいた中年の男性に私の切符を見せ「ここで良い?」と日本語を交じりで素振りをしてみる。
私が中国語が話せないことを悟った彼は、切符を見て「隣の部屋だ」と今度は中国語交じりのジェスチャーで教えてくれる。
ところが彼の指差した「1」のコンパートメントを覗いて見ると、部屋の中には既に老夫婦が2組と若いお姉さんが楽しそうに談話している。ひとつのコンパートメントの定員は4人のはずだが、既に定員を上回る5人が「1」のコンパートメントにいて、私が入れるような雰囲気ではない。
私は再び「2」のコンパートメントに戻り、おじさんに「本当に隣の部屋?」と、ある意味助けを求めた。
するとおじさんは「1」のコンパートメントまで足を運んでくれ、部屋の窓の上に貼ってあったベッド番号「2号」を指差し、「貴方はここ」と言う風にベットを示してくれた。
この光景を見て「1」ノコンパートメントにいた5人の人たちは、私が今夜同室で中国語の通じない人間だと理解してくれたようだが座れる場所がない。
困った素振りをすると「ここに座りなさい」と下段ベットの通路側のスペースを空けてくれた。
私はしばらくその指定された場所に座っていたのだが、その間ほか5人は私に構うことなく、談話に花を咲かせている。
この定員オーバーは何故なんだろう?と思いながら、出発時間までまだ15分以上あったので、鞄からデジタルカメラとビデオカメラを取り出し、列車の外に出ることにした。

外では列車に乗り込む人たちを中心にスナップを撮ったり、ビデオを回してみた。
またホームに置いてあった台車にカメラを置き、セルフタイマーをセットし「直達特快」をバックに記念写真を写してみたが、うまい構図にはならない。こればかりはひとり旅ゆえのどうしようもない・・・
乗車車両である「2号車」付近での撮影を一通り終え、今度は列車の前方に向かって歩いてみる。
3号車、4号車、5号車・・・。列車に沿ってホームを歩いてみると、この「直達特快」がとても長いことに改めて気付かされる。
8号車まで途中全てが軟臥(A寝台)であったが、9号車が近づいてくると、その車両は他とは少し外見が違うことが見て取れる。
白い車体で窓周りに青い帯を巻いているのは他の車両と同じだが、出入り口になぜか柵があるのと窓の大きさが違う。車体に書かれている形式も他の軟臥(A寝台)を表す「RW」ではなく、「CA」と書かれている。
もう少し近づいて見てみるとカーテン越しに見える車内にはテーブルが並んでいる。そう「食堂車」である。

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日本の鉄道では新幹線等によるスピードアップの実現や車内販売や駅弁などの充実により、「食堂車」は北海道行きのブルートレイン数本でしか経験することが出来なくなってしまったが、外国の鉄道では減少傾向ながらもまだまだ健在で、「食堂車」は私が外国の鉄道に乗る際の楽しみの一つである。
実はこの「直達特快Z14次」では、19往復存在する直達特快の中で3往復だけで実施される軽食サービスが存在すると聞いている。
更に上海を19:00に出て翌朝6:58には北京に到着してしまうダイヤでは、食堂車の存在意味がほとんどないと思われ、連結がされていないのではと半分諦めていたのだから、これほど嬉しいことはない。

「食堂車」には他の車両にはないエンブレムも掲げられていた。
「東方号 ORIENT」と大きく書かれた文字の上には、5つの星印と上海・北京の文字。
上海と北京を結ぶ5本の直達特快の中でも、この北京行の「Z14」と上海行の「Z13」だけには、「東方号」という別の名称が付いているようだ。
乗車口に立っている女性乗務員の制服も、向かいのホームに止まっている別の「直達特快」とは別のものである。
なぜこの列車にだけ名称が存在するのか、乗務員の制服がなぜ違うのか?その理由は私には解らない。

9号車の「食堂車」まで来たところで、自分の車両である2号車から既に200メートル歩いてきたことになる。
「食堂車」が編成の真ん中に連結されていると考えると先頭はあと200メートルも先のはずである。
昨日、上海駅近くの陸橋の上から撮影したこの「Z14次」は、18両もの客車を連ねていたのを思い出す。
1両が26メートルなので、その全長は実に460メートルにもなる。更に先頭には2両連結式のディーゼル機関車が構えているわけで、機関車を入れた列車全体の全長は500メートルを超えると思われる。
日本の新幹線「のぞみ」の全長は、16両編成で約400メートルなので、それよりも100メートルも長いことになる。
このまま先頭まで行っても「2号車」に戻るのに時間もかかり、先頭の機関車を写真に収めるのも難しいだろうと考え、自分の車両に引き返すことにした。

「2号車」に戻り、再び乗り込もうとすると入り口に立つ若い女性の乗務員が中国語で話しかけられる。
さっき切符を見せたのだが、さすがに顔パスは利かなかったらしい、再び切符を見せ車内に入った。
コンパートメントに戻ると、先ほどまでの談話は既に終わっていて、老夫婦1組と二十歳前後の女性の3人となっていた。
私がさっき座っていた座席兼下段ベットでは既におばさんが横になっていたが、私が戻ってきたことを察すると、足を曲げ座れる分だけのスペースを空けてくれた。
なんとも居心地が良いとは言いにくい状況である・・・

程なく出発時間の19:00.
ホームに発車ベルが鳴り響くわけでなく、車内放送があるわけでなく、列車は北京に向け定刻に動き出した。
私は通路にあった簡易イスを引き出して座り、上海の街に別れを告げた。

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2005年1月 8日 (土)

さあ「直達特快」に乗り込もう!
中国鉄路に乗ってみよう!第13話

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2004年7月17日(土)

上海で中国最初の朝を迎える。
昨日中国に上陸してから何も食べていないので、かなり空腹である。
身支度を簡単に整え、ホテル1階のレストランに向かい、宿泊費に含まれている朝食をとった。
朝食はバイキング形式、お粥が少しあった程度で品揃えは万国共通。美味しいと思うものは特になかった。
レストランの客はほとんどがツアー客と思われる人で、日本人が多いようだ。
寂しいことに私のように一人で食事している人はほとんどいなかった。

今日はいよいよ中国鉄路の「直達特快」北京行きに乗車する日である。
「直達特快」は、2004年4月18日に行われた「第5次大提速」と呼ばれるダイヤ改正で登場した中国最速の種別で、北京を中心に19往復の列車が存在し、全て軟臥と呼ばれる1等寝台車で編成された夜行列車で、最速160kmを誇る。
上海-北京間には、このうち5往復の列車が運転され、19:00発の列車番号「Z14次」を最初に、7分おきに19:28まで5本の「直達特快」北京行が連続して出発していく。(2004年7月現在)

私の乗る「直達特快」北京行きは、19:00発の「Z14次」。朝食を食べてもまだまだ時間が残っている。
夏の暑い上海市内をあちこち歩き回るのも辛いので、昨日夜景しか見ることの出来なかった外灘(バンド)と、一瞬の乗車で終わってしまったリニアモーターカーの再乗車、そして最新の地下鉄である3号線(明珠線)を訪ね、上海での時間を潰していた。

【上海駅待合室】
直達特快に乗車するために上海駅に到着したのは16:30頃
19時の列車に乗るにはちょっと早すぎる到着ではあるが、訪中最大の目的である列車への乗り遅れ防止と、夏の厳しい日差しから逃げるために早めに到着した。

上海駅は相変わらず多くの人で混雑していたが、私は駅舎右側にある「軟席軟臥専用待合室」に入る。
ここは軟席(1等車)か軟臥(1等寝台)のチケットを持っている人専用の待合室で、入り口で係りのお姉さんに切符をチェックされる。
お姉さんが切符をチェックしているあたりは多くの人で混雑していたが、中に入ってしまうと外の喧騒とは別世界で、冷房の効いた室内には、多くの人がソファーでくつろぎながら列車を待っていた。
その数、およそ200人以上と思われるが、それだけの人数が入ってもまだ誰もがゆったりと列車を待てるだけのソファーが用意されているほか、売店や喫茶コーナーもあった。
待合室には、LED式の出発案内板があり中国語、英語、そしてなんと日本語が交互に表示され、乗客はこの案内板で自分の列車の改札が始まるまで、待合室でのんびりと過ごすことになる。

一昔前は中国鉄路の軟席(1等車)と軟臥(1等寝台)がと言うのは、かなり特別なもので1列車に数両しか連結されていなかったり、乗客も外国人か一部の裕福な中国人だけのための特別なものだったと記憶している。
しかしながら、これから乗車する直達特快は全車軟臥(1等寝台)であり、しかもその直達特快が7分おきに北京に向け出発していく現状を見ると、もはや現在の中国において軟席(1等車)や軟臥(1等寝台)は特別なものではなくなったようである。

私の乗る「Z14直達特快北京行き」の改札が開始されたのは18:15.
LEDの「ただいま改札中」という日本語表示を確認し、改札へと続くエスカレータの脇にいたお姉さんにチケットを見せ、待合室の上のフロアに向かった。
上のフロアは一般の待合室だったようで、凄い数の人が列車を待っていた。しかし改札らしく物がなかったので、私と同じく「軟席軟臥専用待合室」から出てきた人の流れに身を任せ、別のエスカレータでさらに上のフロアに上がった。
この3階にあたるフロアも大きな一般待合室のようで、待合室の一番端に列車ごとに分けられた改札口が見える。
人々は自分の乗る列車の改札が始まるまで、おもいおもいのスタイルで待っているようだった。
改札口の一番端に「Z14次」の文字を見つける。
全ての車両が軟臥(1等寝台)である「Z14直達特快」では、この一般待合室で列車を待つ人はいなく、1階の「軟席軟臥専用待合室」から出てきた人たちが次々と改札口の中に入っていく。
改札口の入り口に立つ女性に切符を見せると、少し前の日本と同じように切符に「凸型」のパンチを入れられる。

改札口を無事越えるとホームの上をまたぐ跨線橋に出る。跨線橋の窓からは眼下に列車のが見え、いよいよ中国鉄路に乗れることに少し興奮する。
ホームに降りる階段には、列車番号が掲示されており、「Z14次」の文字は8番ホームに見つけることが出来た。
階段を降りていくと、白い車体に青い帯をまいた「直達特快」の姿が見えてきた。

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2005年1月 3日 (月)

お正月に動画2本編集


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お正月。
いつもより時間があったので、いつか公開しようと思っていた中国のビデオを編集して公開してみました。

1本目は、上海の地下鉄をメインに撮影したもの。
ドイツ製やフランス製の車両のほか、ホームにあるモニターに映った日本のアイドルの画像もシラーっと入れてみました。

2本目は同じく上海のもの
こちらは中国鉄路上海駅近くの陸橋から駅に発着する列車を何本か写したものです。
日本ではほとんど見ることが出来なくなった機関車牽引の列車が発着している風景は、旅情を誘います。

2本の動画へは、本サイトのブロードバンドムービー館からご訪問ください。


2005年1月 2日 (日)

ドイツの新幹線 ICE

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*勤務先の同僚が撮ってきた欧州第2弾です。

ドイツの新幹線「ICE」
いまや世界各国で高速鉄道が走るようになりましたが、その中でも私のお気に入りはドイツの「ICE」です。
私がこの列車に乗ったのは、もう10年以上前になりますが、今でもずっと好印象のままの列車です。

10年前。ヨーロッパの高速列車として有名だったフランスのTGVには何度も乗ったことがありました。
その当時の「TGV」はスピードは世界で唯一300KMを達成し、世界最速の列車ではありましたが、居住性という点では、シート間隔は狭く、飛行機のエコノミークラス並みだったと思います。
更には最長7時間も走る列車があると言うのに食堂車の連結はなく、簡単なビッフェのみ・・・
しかも原則全席指定席のため、乗車には必ず指定券を持っていないといけない等など、旅行者には決して優しくない列車でした。

ヨーロッパの高速列車と言うのはこんなものなのかな? という固定観念をある程度持ってしまった私にとって、このドイツの「ICE」の初乗車は驚きの連続でした。

まず駅に到着したICEに乗り込んで、車内があまりにもゆったりとしているので、まちがって1等車に乗ってしまったのかと思い、一旦車両から降りて、自分の乗っている車両が「2等車」であることを再確認したほど、TGVとは比べ物にならないぐらい立派な車内設備でした。
車内のシートはその間隔はゆったり取られているだけでなく、車両の中ほどにハンガーがあったり、車両によってはシートテレビが設置されていました。
更にコンパートメントやコインロッカー。デッキ部には液晶式の案内表示があり、走行スピードを確認することも出来ます。
更に気に入ったのは、ICEには食堂車が連結されていること。
他の車両より屋根が高く、天窓も設置されている食堂車は、木目基調のテーブルが並びとても落ち着いた雰囲気です。
ドイツ語や英語が出来なくても「MENU」という定食を頼めば、それはとても立派な食事でした。

とても快適な汽車旅を味あわせてくれた「ICE」は、10年以上たっても私の選ぶ世界最高の列車です。

最近、ヨーロッパの高速鉄道はフランスの「TGV」、ドイツの「ICE」のほか、イタリアの「ペンドリーノ」、スペインの「AVE」。
そのほか国際列車としてユーロトンネルを通過する「ユーロスター」や、「タリス」など、数多くの列車が登場しました。
私が好印象を持ったICEも、「ICE2」「ICE3」と新しい世代が登場しています。
残念なことに最近のICEには食堂車が連結されていないものもあるようですが、車内設備と走行スピードというバランスを考えれば、今でもヨーロッパで1番の列車ではないかと思っております。

またいつか、このICEに乗りたいです。

2005年1月 1日 (土)

上海散歩
中国鉄路に乗ってみよう!第12話

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上海駅を19:00に出発する北京行き直達特快を見送った後からが、私の上海散策時間となる。
明日の同じ列車(19:00発の北京行)に乗るので、これからちょうど24時間上海にいることになる。
列車に乗ることが主目的の私として、3泊4日の行程としてこの24時間の空き時間は非常にロスなのだが、ここ中国には気軽に乗れる汽車はなかなかないため、この24時間は私にとって初めての街「上海」をのんびり散歩してみることとした。

【上海】
今でこそ高度成長が著しい中国を象徴する「上海」には、高層建築物が立ち並んでいるが、市内を流れる川「黄浦江」沿いに並ぶヨーロッパ風の建築が並ぶ風景も有名である。
このヨーロッパ風の建物は、アヘン戦争後の南京条約で上海が外国に開港された際、イギリス人が造ったもので、黄浦江沿い南北1.5Kmに渡り広い遊歩道と、西洋建築が約50棟並び、「外灘(バンド)」と呼ばれている

私がまだ一度も外国に行った事のなかった17歳ごろのこと。神戸から船でたった2万円で行くことの出来た街として「上海」は、最も興味を頂いた外国の街のひとつだった。
当時未だ少なかった中国への個人旅行者向けのガイドブックを購入し、「上海」の頁で、最初に目に飛び込み、その後もずっと訪れたいと思っていたのが、この「外灘(バンド)」である。 
上海に来たなら、まずはこの外灘(バンド)に行ってみたいと思った。

私は地下鉄の上海火車駅から地下鉄A線に乗り、途中「人民広場駅」でB線に乗換え「河南中路駅」で下車した。
地上に上がると、そこは上海一の繁華街「南京路」である。

私の目指す外灘(バンド)は、この「南京路」の先にあるのだが、地上から上がってきた私には「南京路」をどっちに向かえば「外灘」なのか解らない。
「外灘」には今の上海の発展を象徴する「上海タワー」があるので、それが発見できれば「外灘」の方向が解るのだが、残念ながら自分の立っている位置からは「上海タワー」が確認できなかった。
"一か八か"で地下鉄出口を背に右に歩いてみたら・・・ 昼間歩いた「人民広場」が目の前に現れる。
つまり、はずれだった 地下鉄一駅分無駄に歩いてしまったことになる。

仕方なく今来た道を反対方向に戻り、再び「南京路」を外灘に向け歩き出す。
「南京路」は幅の広い綺麗に整備された歩行者天国となっており、道路の両側にはネオンで眩しく彩られたお店が約2kmに渡って続いている。
歩行者天国には多くの人が集まり、観光用に小さな客車を何両も連ねたバッテリーカーが頻繁に行き交う。
「南京路」の両側に並んでいるお店は、飲食店・衣料店などが多く、日本の吉野家やラーメン店も見かけることが出来た。
上海では、日本のラーメンがちょっとしたブームのようで、多くの店が上海に進出しているとのことだが、味覚の違いから豚骨系のスープしか受け入れれらないと日本のテレビで紹介されていたことを思い出す。

この南京路では多くの女性に声をかけられたのも意外だった。
こちらは一人で歩いている成人男性。声をかけてくる女性と言ったら、目的はそれぐらいしかないだろうが、言葉が解らなくて、はっきりとした目的はわからない。
こちらが言葉を話せないことを理解すると去っていくが、それまではかなりしつこく付きまとわれる。
一人が去れば、また違う女性が声をかけてくる・・・ 
中国ってこんなのもあったんだと、また違った意味での驚きを味わった。

「南京路」の歩行者天国は外灘まで続いておらず、途中の信号から先500mぐらいは、狭い歩道しかない車の往来が激しい道を進む。
しばらくすると目の前が開け、「上海タワー」も目の前にみることが出来たが、「外灘」の広い遊歩道へつながる地下歩道は大変な混雑である。
私も一人、この人ごみに混じり地下道を越え無事「外灘」に到着することが出来た。

しかしながら残念なことに「外灘」は、上海の急激な成長と真夏の冷房需要による電力不足を懸念して、ライトアップが中止されていたが、対岸の「上海タワー」には明かりがともり、特徴的である球体の部分では派手なイルミネーションが輝いていた。
古い町並みの「外灘」は消灯、対岸の新しい上海を象徴する「上海タワー」は輝いている光景は、今の上海そのものを表しているように見えたのは私だけであろうか・・・

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【動画:上海タワーのイルミネーション】


しばらく、外灘で「黄浦江」の風と行きかう船の音を感じながら「上海タワー」をみていたらお腹に多少空腹感を覚えたので、近くの飲食店を物色するが、一人で言葉の通じない食事処に入る勇気がなく、結局何も食べずにホテルに戻った。

*2004/01/03 一部加筆


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2005年を迎えて・・・

nse2005

2005年 新年明けましておめでとうございます。
このBLOGにとって、始めてのお正月を迎えることが出来ました。
昨年はBLOGと言うものに始めて出会い、通常のWEBサイトと違って多くの人に訪れてもらえる、BLOGの特異性に驚き、一時は生活を忘れ記事のアップに没頭してしまうこともありました。

最近では記事のアップも1週間に1度程度とはなりましたが、BLOGやWEBサイト運営は私の大切なライフワークであることに変りありません。
これからも私個人のペースで、気になった鉄道や飛行機などの乗り物の話題を提供できたら良いなと思っています。

本年も当BLOG。そして本サイトである「ひとり汽車旅・のりものの旅」を宜しくお願いします。

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