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中国鉄路に乗ってみよう!第9話 »

2004年8月18日 (水)

ギリシャ鉄道の思い出・・・

アテネオリンピックが開催中のギリシャ。

私は、11年前の1993年3月ギリシャに訪問し、ギリシャの鉄道に乗る機会がありました。
今日は、オリンピックに関連し、当時私が残した「ギリシャ鉄道旅行記」をリメイクしてUPします。


ギリシャへは、ブーツのような国土のイタリアのかかとの部分の町「ブリンディッシ」を夕方出港する船に乗り、激しい嵐を通りぬけ、翌日の15時に「パトラ」と呼ばれるギリシャのペロポネス半島にある町に上陸しました。

「パトラ」から「アテネ」までは鉄道が通っており、下船後すぐにギリシャ国鉄の駅に向かいました。
この路線は、ペロポネス半島を周回している狭軌の鉄道ですが、半島を超えてアテネまで直通しています。
「パトラ」の駅は、、ホームは1面しかなく駅舎も小さな駅でしたが、窓口には切符を買い求める多くの人が列をなしていました。
壁にはパトラーアテネ間を結ぶ全席指定の急行列車(ディーゼルカー)のポスターが貼ってあり、なかなか繁盛しているようです。
しかしながらこの急行列車。トーマスクック時刻表(ヨーロッパ全土の時刻表)にはその記載がなく、トーマスクックもギリシャまで来ると信頼性は落ちるものなんだと感じたものでした。

私は16時発のこの急行列車に乗ろうと駅の窓口に並んだのですが、先に並んでいた同じ船から降りたひとり旅行者と思われる白人男性が「満席のようだ」と教えてくれました。
16時以降の列車に乗ってアテネに向かうことも出来たのですが、初めて訪ねる街「アテネ」への到着が遅くなるのと、到着後のホテル探しに少し不安を感じ、この日は上陸した「パトラ」に1泊してます。

翌日、「パトラ」の駅で、コーヒーを飲みながら小さな駅を眺めていると、程なく列車が入ってきました。
駅のポスターにある綺麗な急行列車とは似ても似つかない、古ぼけた機関車に牽引され、やはり古ぼけた客車を連なった列車です。
トーマスクックでは、この時間に入線する列車がなく、あわててホームにあった時刻表を眺めてみると、そこにはギリシャ文字・・・・全く読めません。
私は列車から降りていた車掌さんに歩み寄り、「アテネ行き?」と訪ねると、「そうだ」と言われましたが、車両には行き先の表示がないし、いつ出発するかも分らないし、かなり不安を持ちながら乗りこみました。

車両は標準軌の一般的なヨーロッパの車両と比べるとかなり小さく、日本の標準的な列車より小さかった記憶もあります。車内はガラガラで冷房装置などはなく窓が開けっ放しの状態。昨日乗れなかった急行列車と比べると随分差を感じる列車でした。

列車はなかなか動くことがなく、30分もするとトーマスクック時刻表にある出発時間になりましたが、それでも動かず・・・。
結局列車は、「パトラ」に45分停車。トーマスクック時刻表と比較して15分遅れて、のろりのろりと長いこと使われていない入替線のようなところを進みはじめました。
本当にこの先に「アテネ」があるのか?更に不安が倍増するような風景の中を、とりあえず列車は走り始めたのです。

 その後はもうトーマスクック時刻表はあてになりません。どこを走っているのか全然分りません。
のどかなペロポネス半島の風景の中を列車は進み、徐々に乗客が増えていきました。
途中、ポスターにある綺麗な急行列車ともすれ違いました。
ペロポネス半島と大陸の境を流れる深い運河を、徐行して渡ったのが凄く印象に残っています。

「アテネ」についたのは、トーマスクック時刻表と比較すると45分遅れ。
「アテネ」の駅は街の中心地から離れており、標準軌と狭軌で別々の駅舎になっています。
私の乗る「パトラ」からの列車は、首都の駅とは思えないほど小さな作りの狭軌側の駅に着きました。
ホームには「アテネ」の表示がどこにも見えず、多くの人が降りたので「アテネ」なのだと気付いたようなもので、ここが本当に首都の駅なのか不安になるぐらい何もない駅でした。
列車はこの後、港町であるピレウスまで一駅走って終点です。

もっともレールファンならば、駅構内に標準軌のレールが見えるため、なんとなく「アテネ」についたことを感じることが出来るかもしれません。

私はこの後、市内のホテルを探し、数日間「アテネ」に滞在しました。
この間には、ひとりで名ばかりの「エーゲ海クルーズ」に参加したり、私と同じように一人旅をしている人とレストランで楽しくお酒を飲みながら食事したりと、終わってみれば結構楽しい思い出だらけでした。

この先、本当は「アテネ」から標準軌の列車を乗り継いで、「イスタンブール」まで行く予定だったのですが、なぜか面倒くさくなって、飛行機で「イスタンブール」に渡ってしまったことが、今となっては公開しています。

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