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2004年8月 9日 (月)

さよなら急行だいせん

この秋に行われるJRのダイヤ改正で大阪と山陰地方を結んでいる「急行だいせん」が廃止されることになったと聞きました。
この列車。実は私が始めて乗った寝台列車で、廃止と聞いたときちょっと寂しさを感じました。
私が乗ったのは、昭和60年4月1日。
15歳だった私は、初めての大阪で予約したホテルが見つけられず、その代わりの宿にと出雲市までの「急行だいせん」のチケットを「みどりの窓口」で求め乗り込みました。
そのときの写真が上のものです。

当時は特急運用から引退して間もない、20系と言われる初代ブルートレインの車両が使われ、初めて乗る寝台列車としては文句なしの車両でした。
編成は7両ついており、このうち大阪より3両程度が寝台で、後は座席車として使用されていたと思います。
私は指定された最後部の車両に乗り込み、初めての寝台に興奮しながら、最後部についていた展望室に向かい、大阪駅の出発を眺めていたことを思い出します。

この20系は3段ベットになっていて、ベットにもぐりこむと寝る以外の姿勢は厳しかったです。
ベットの幅も最近の寝台よりかなり狭く、通勤型電車のイスの幅しかありませんでしたが、特に窮屈さを感じることなく、寝ることが出来たと思います。
朝。目覚めると列車は宍道湖のほとりを走っていました。そのときの車窓は今でも目に焼きついています。

最初に乗った寝台列車としてはとても好印象に残っているのですが、ひとつだけ残念だったことは、この列車はかつて出雲大社への参拝客の輸送用としても活躍し、今は廃線になってしまった大社線の大社駅まで乗り入れていたことがあります。
私が乗ったつい1ケ月ほど前まで「急行だいせん」は、大社まで乗り入れをしており、ローカル線の大社線を20系のブルートレインで乗ることが出来なかったのことでしょうか・・・・

いま「急行だいせん」は最後の活躍をしておりますが、私の乗ったときに比べると、運行区間は大阪-米子間に縮小され、車両はたった2両のディーゼルカーになり、かつての機関車牽引の堂々とした列車の印象は残っていません。

客車牽引の堂々とした列車が好きな私にとって既に「急行だいせん」は別の列車になってしまっているような気がします。
風情ある列車が、日本から段々なくなってきてしまったことも、私が海外の鉄道に乗りに行く理由のひとつとなっています。

最後に「急行だいせん」の最終日までの安全運行を祈っています。

*参考 私のサイトにある「急行だいせん」の思い出
急行「だいせん」の20系時代

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