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2004年3月 3日 (水)

アラスカ アンカレッジ空港の思い出

列車での国境越えの思い出 (1)でも少し触れましたが、私がフランスに向けて、始めて海外旅行に旅立った時に乗った飛行機は、途中アラスカのアンカレッジに寄航しました。

今、日本とヨーロッパを飛行機で移動する場合の最短ルートはシベリア上空通過です。
しかしながら、私が始めての海外旅行に旅立った当時(1988年)は、ロシアはまだソビエト連邦でした。
最短ルートであるシベリア上空を通過できる飛行機は、ソビエトのアエロフロートときっと莫大な金額を払った大手航空会社でした。
その大手ですら運行便数がソビエト側に規制され、東京ーヨーロッパを結ぶ飛行機の半分以上は、少し遠回りになりますがソビエト上空を避けて、アラスカのアンカレッジに寄航し、燃料補給を受けた後、北極上空を通ってヨーロッパに向かったものでした。
当時は航空機の燃費も良くなく、シベリア上空を迂回するとヨーロッパまで燃料が持たなかったために、どうしてもアラスカに降り立ち燃料補給する必要がありました。

アンカレッジ空港は、そんな日本とヨーロッパを往復する飛行機が寄航する空港として大変賑わっていました。
飛行機に燃料補給中は乗客は一旦機外に出されます。
空港のターミナルで約1時間程度燃料補給を待つわけですが、このターミナルのショップの数がすごかった。
アラスカは当然アメリカ。アメリカの空港というとターミナル内に小さな売店程度のお店しかないのが一般的だと思うのですが、アンカレッジは給油寄航狙いで、数十店のお土産やさんが所狭しと並んでいたのを覚えています。

しかーーーも、全部のお店で当たり前に日本語が通じます。
通じるというより、お店の人は、顔を体も日本人の体系をしたおばちゃんだらけなんです。
更に、お金は米ドルじゃなくても問題なく、日本円が当たり前のように使えます。
そりゃ、アンカレッジに寄航する人のほとんどは、東京ーヨーロッパを移動中で米ドルを持ってませんからね。

但し、郵便局とマクドナルドだけは、日本円が通用しませんでした。
なぜか米ドルを持っていた私は、マクドナルドでコーラを買ったのですが、そのとき店員さんから言われたのは「1ドル50」という日本語・・・・

空港には常時3機ぐらいの飛行機が給油中みたいで、空港には給油が終わったことを告げるアナウンスや、乗客の呼び出しなど頻繁にアナウンスが流れますが、これがほとんど全部日本語なんです。
ターミナル内には、日本航空の「さくらラウンジ」なんかも当たり前のようにあるし・・・・

アンカレッジ空港は、まったく外国を感じることのない、アメリカの空港でした。

アンカレッジ離着陸時の飛行機から見える景色もすごいんです。
真っ白な大地、マッキンリーを代表とする険しい山々、ものすごい大きさの流氷。
それら景色もスケールが違い、10年以上たった今でも、飛行機から見たアラスカは忘れられません。


今は東西冷戦も終結し、日本とヨーロッパを結ぶ飛行機は、すべてシベリア上空を通過するようになりました。
飛行機の燃費も向上し、燃料補給のためにアンカレッジに寄航する飛行機は皆無です。

いまあのアンカレッジ空港はどうなっているんだろう?
先日、ニューヨークからの飛行機がアラスカ上空を通過した時に、ふと思い出しました。

アンカレッジ空港の再訪と、大自然を走るアラスカ鉄道に乗るために、アラスカにきちんと訪問したいと、その機会を楽しみにしています。

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(1.3)飛行機の話題」カテゴリの記事

コメント

40年前に5年間、このアンカレッジに住んでいました。昨年はこの思い出の地を再訪し、昔をしのんできました。若干、街並みが変わった部分があったものの大自然はそのままでホットしました。

初めまして。アンカレジは現在、欧州や米大陸へ向かう貨物便の、重要な中継点として機能しております。
しかし、旅客便は州内と米本土への便を除くと、国際線はキャセイパシフィック航空と、
どこかあともう一つ航空会社の、一部の便が寄航するだけになってしまいました。確か2、3ヶ月前の
『AIRLINE』誌で、現在のアンカレジ空港の特集を見た気がします。

アンカレッジ経由、懐かしいですね。
私も海外に行くときは、絶対、アンカレッジ経由で行くものだと信じて疑っていませんでした。
しかし、私の初海外はハワイ。しかも東西冷戦終結後です。
アンカレッジ経由は果たせぬ夢となりました。記憶にあるのはアンカレッジ経由の必要が無くなり、寂しくなった空港のニュースです。
生きてる間に1度でいいからアンカレッジへ行ってみたい。
そして植村直己さんが消えてしまった、壮大なマッキンリーを見てみたいです。

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